気のエネルギーとしての存在者/第二回 兜太、源郷から宇宙意識への旅/大髙宏允

気のエネルギーとしての存在者 大髙宏允

 第二回 兜太、源郷から宇宙意識への旅

    一 古代人の自然観と兜太の源郷の照応

言霊の脊梁山脈のさくら
 最近、この一句に妙に心惹かれる。言霊は、湯川久光氏によれば、旧石器自時代の精霊信仰から始まった古代人の原始的な信仰で、人間の生存が農業生産の成否に委ねられる中、収穫をもたらす神々の神託や呪言として信仰されていたという。(「万葉集 響き合う心の世界」婦人画報社)
 そうした受け止め方は、現代人特に都会人の日常感覚に、もはや感じられないだろう。だが、
「なんで私が俳句から離れられなかったかというと、(中略)その根っこに、いわば肉体的条件があるからです。私は、肉体というのは、風土が作ってくれるものだと思っていまして、いまではその風土のことを、産土うぶすなと呼んでいますが、その肉体的な条件があって、それが私の俳句の支えになったんだということです」(石 寒太「金子兜太のことば」岩波書店)
 この先生の言葉と出会ったとき、現代人の日常的意識から失われたと思ったものが、むしろ生々しく命に脈打っているのを感じた。冒頭の一句は、その表明とも言えると思う。
 「いま兜太は」(岩波書店)では、先生自身この句について次のように語っている。
「この脊梁山脈は、郷里秩父盆地の南に連なる二千メートル級の連山。陽光を遮って盆地を暗くしているのだが春とともに桜も咲く。そして暗い山脈の山肌に点々と見える桜花には隠微な美しさとともに霊感のようなものが感じられてならない。言葉に宿っている不思議な霊感とはこれか、と思ったりする。」
 我々日本人は、春ともなれば桜に呼ばれるように出掛ける。そこに山があり、桜があっても、「言霊」までは想いが及ばないのではないか。だが、先生はむしろ、山や桜そのものより、言霊を肉体感覚的に受け止めているのだ。そこから一句が、自然と立ち上がってくるのだ。先生の思う肉体的条件には、三つの要素があるという。それは、「俳句が自然にできてしまう」「秩父の風土に支えられた」「天才、出沢珊太郎との出会い」だという。一九一九年(ぃつくぃつく)に生まれ、自分は俳句をやるためにうまれてきた人間と思い、肉体は風土が作るものと思い、出沢という天才といえる先輩の男がいなかったら、自分も俳句にとりつかれることもなかっただろうとの思いが自分の生き方を決定づけたと信じている。こうした運命的出来事に導かれた人生であった。
 運命的といえば、同じような出会いが私にもあった。俳句はハイキングの思い出記録として書き留める程度の関係であったが、ある時、たまたまテレビのリモコンを押し間違え、1を強く押したため、11チャンネルの放送大学が映り、そこに皆野の実家で手振りをまじえて俳句講座真っ最中の人物が話していた。当時、NHK「俳句王国」で、たびたび目にした金子兜太であった。見た瞬間、なにかしら独特の波動に惹きつけられ、すぐ録画を開始、その後妻と何度も繰り返して見入ったものである。話の内容というより、先生の発する波動のようなものに惹かれたと思う。「こんな日本人がまだいたのか」と、見るたびに思った。だが、その結社で俳句をやろうとの思いは皆無であった。ところが、その数ヶ月後、ステージ4のがんが見つかり、入院となった私に、長谷川櫂氏の「古志」に入ったばかりの友が、「君の好きな金子兜太の結社に入れば」と、入院中の病院からわずか百メートルの俳句文学館を教えてくれ、「海程」との出会いが始まった。
 最近亡くなられた小澤征爾も独特の波動があった。ステージに出てきた瞬間からその波動がビリビリと来た。「第九」が始まると涙がしばらく止まらなかった。お二人とも、希有の波動があった。それは、大いなる力から生まれるものと思う。
 では、「大いなる力」とは何か。
「量子力学的宇宙の完全な静寂の中で、原始の音が誕生して、そこに一定のパターンが形成されます。そしてそれが物質とエネルギーとなり、さらには星、木、人間など無限のものがつくり出されてきます」(ディーパック・チョプラ「パーフェクト・ヘルス」きこ書房)
我々が何気なく眺め楽しむ景色も、科学的現象の視点からみれば、計り知れない超越的な働きの現われなのである。先生は直感的にそれを感じ取っておられた。肉体は風土が作るという発想は、ふつうの都会人にはない。先生の感覚は、原始の人間の感覚に近いのである。出沢先輩との出会いがなければ俳句にとりつかれることはなかったというが、とりつかれるほどの感性があったからこそとりつかれたに過ぎない。すべては起るべくして起っていた。秩父の風土に支えられたという思いにしても、自分の生まれた風土をそのように受け止める感性あればこそである。その感性ゆえの源郷観が育ったのである。チョプラ博士は、更に次のように語っている。
「量子レベルでは、私たちの誰もが創造する名人です。創造に必要なのは、自分の本質に従うことです。そうすれば、驚くほど複雑な身体でも私たちを取り巻く季節、潮、星の運行と同様に、完璧に機能するようになります」
先生は見事その生き方を実践した。大いなる愛を以て。
    
    二 生臭き日常感に自然のリズムが宿る

 先生の九十歳あたりからの東京例会では、しはしば「もっと生々しい俳句を見せてほしい」とおっしゃったのが印象的であった。ところが、そういう句は、滅多に出てこない。それはそうだろう。社会生活に明け暮れ、都会的環境で暮らしておれば、生々しい感覚の俳句が産まれるのは至難の業。空を仰ぎ、昨日とは違う空気の感触を感じ取り、足もとの芽吹きはじめの緑に気づくなどということは難しい。朝起きて窓を開けたときから、意識と感覚を自然界に向ける習慣が不可欠だ。だが、日々の暮らしは、サラリーマンだったり、主婦だったりして、社会と家庭に意識・感覚が漬物のように適応しきっている。そうした中で、先生の俳句と触発の言葉の影響で、時にハッとするような俳句と出会うことがある。
とろろ汁パンダがごろごろしている  小野裕三
この句とは、秩父俳句道場で出会った。選句用紙を見て、「変な句」と、笑ってしまった。ところが先生の選に入り、とろろ汁の感じがよく出ていると絶賛された。正直びっくりしたが、作者が隣にいたので二度びっくりした。
虻無数ねんぶつざんまいありしかな  山中葛子
この句とは、松山の全国大会で出会った。ホテルの窓の外に、見たこともない無数の虻がまるで柱のように立ちのぼり動き回っていた。何とかその感動を句にしたものの、翌日先生の選に入ったこの句を見たときの感動は今も忘れない。
薬局のように水母のうごくなり     宮崎斗士
 この句と出会ったとき、この感覚って、何だろうと思った。水母と薬局・・・宇宙人感覚?詩人だなと思った。
あるある、衝撃を受けた俳句とどれほど多く出会えたことか。これまさに金子兜太という存在あればこそである。なんの人生計画もなかった自分にとって、先生と先生を取り巻く仲間から思ってもみなかった世界がひらかれた。
 弟子たちのこうした感性はどうして育てられたのであろう
か。第四十四回正岡子規国際俳句大賞受賞記念スピーチでの先生の言葉を思いだそう。
 今、私の中では、もう「ホトトギス」も虚子も蜂の頭もない。(中略)本物の俳人はアニミストであると。偽物はアニミストになれない連中であるというくらいの区別で、これからの俳句が大きく普及してゆくのではないか。
 乱暴とも思える言い方ではあるが、本質を突いている。社会に適応する意識にとどまっていては、言霊の世界に生きることはできない、互いに精霊を感じ、信仰しあうという生活、この信仰する姿がアニミズムだと語っている。(「金子兜太のことば」毎日新聞出版)
 また、社会の中の人間ではなく、「生きものとしての人間」という視点から見るという発言もしている。(「ベストセラーズ」)つまり、社会という枠組みに組み込まれた存在としてではなく、生きものとしての存在を自分に感じることのたいせつさを見つめているのである。それは、自分の体から始まり、周りの自然、更には宇宙へと広がる大いなる世界の中の存在として自分を感じることに他ならない。これが、金子兜太にとっての「存在者」の世界ということになる。
 「現代俳句の断想」(安西篤)に次の言葉が、それをしっかり捉えていた。
 句集『両神』では、アニミズムの根源に、天と人を結ぶ「気」の働きがあることに気づく。造形論にくわえて俳諧の即興、挨拶―その表現構造に「気」がうごく。(詩歌文学賞受賞)
 兜太は『両神』のあとがきで、古代中国の言葉である「天人合一」をこれからの自分の課題にしたいといっている。この場合の天とは、宇宙を含む大自然と捉えており、人間もまた自然のリズムにしたがって暮らすのはもともと根底において一体のものであるからだ。天と人を結ぶ原理が「気」の力だ゜ともいう。これは一茶に学んだ自然なる姿よりももっと徹底したスピリチュアルな世界である。
 なんとなく成行きで入った俳句の世界が、まさかこれほどのスケールの世界であるとは。人間が自然のリズムに従って生き、俳句を成す。そう実感するとき、感動と創作欲が渾然一体となって自分を貫いたことが今また甦ってくる。

    三 南方マンダラと兜太のふたり心の照応

狼は無時間を生きて咆哮
 この句について先生は、池田澄子との対談(「兜太百句を詠む」)で、「永遠感です。(中略)絶滅なんていう考え方もない。永久存在。時間がなくて空間があるのみってことです。空間だけ。そこに居るってことが動かない。それで時々咆哮する。そういう気持ちです。」と語っている。
 咆哮する永久存在とは、何であろうか。人智を越えた現象であり、霊的存在であろうか。
 今、仮に、「狼」を「物」、「無時間を生きて」を先生に生じた「心」、「咆哮」を「事」としておこう。実は。物、心、事という分類は、南方熊楠が「南方曼荼羅」として、世界の姿を捉える方法のもとになった発想である。この一句には、単なる自然への共感をはるかに超えたものがありそうだ。
中沢新一が責任編集した「南方マンダラ」(河出書房新社)の中沢氏の巻頭「解題 南方マンダラ」に語ってもらおう。
 彼の考えでは、純粋なただ「心」だけのものとか、純粋に「物」だけのもの、というのは、人間の世界にとっては意味を持たず、あらゆるものが「心」と「物」のまじわりあうところに生まれる「事」として、現象している。(中略)「事」は、異質なものの出会いのうちに、生成される。そして、その「事」が、ふたたび「心」や「物」にフィードバックして働きかける過程の積み重ねとして、人間にとって意味のある世界は、つくりだされてくる。熊楠はこの「事」の連鎖の中から、ひとつの原則が見いだせるはずだと考えた。そして、そのヒントは、どうやら仏教の説く哲理の中に潜んでいそうだ、と直感したのである。
 これはあとで触れる南方マンダラの根本思想だが、金子先生にも同じような考え方があった。「詩形一本」(永田書房)
 私は、物と言葉の二重構造つまり、具象と抽象を同時に備えた言葉が、俳句の血だとおもう。俳句は思想そのものを書くのではなく、思想するものの日常で書かれるものだから、物(具象)を失うことは、俳句の基盤を失うことでもある。しかし、日常で書くのであって日常そのものを書くだけでは足りないから、言葉(抽象)を軽視することはできない。それどころか、双方のあいだの生きた交流が必要なのだ。
 先生は、物(具象)と言葉(抽象)の生きた交流こそ俳句の血と考えているわけだが、南方は、心と物のまじりあうところに、事として現象が生まれると観る。
 人間が現象の世界で生きることの不思議を、二人は共通する世界観で捉えていると言えるだろう。
 俳句は、自然(具象)から受けた気持ち(言葉)をわずか十七文字で表現するわけだが、一滴の水滴に宇宙を感じ取って表現することさえでき、一滴を現わした大いなるものに返し、他の俳人と鑑賞し合う行為である。さて、もう一度中沢氏の南方観を見てみよう。
 量子論は、パラドックスに満ちた「事」の世界を記述する方法を、いまだに探求しつづけている。熊楠は量子論が生まれる三十年も前に、「事」としてつくりだされる世界の姿をとらえ、それをあきらかにするための方法を、模索しだしていた。それが十年後の「南方曼荼羅」の思想に結晶するのだ。熊楠は「事」として生まれる世界の本質をとらえる方法が、真言密教のマンダラの思想の中に潜んでいることを、直感的に理解していた。(中略)
 「南方曼荼羅」は、まったくひとつの生命体なのだ。それはどこまでも深く、たえまなく変化し、運動をおこし、人間の知性によってはとらえつくすことのできない神秘な秩序を保ちつづけている。宇宙は巨大な森なのだ。那智の山中に「森の人」となっているとき熊楠の頭脳はそのような宇宙の「森」を、ひとつのマンダラとして、くっきりと見ていたのである。
 熊楠 、兜太という、ふたりの「森の人」が見て、感じた世界観について、「米寿会談」(藤原書店)で鶴見和子はおおよそ次のようなことを指摘している。「金子先生も『海程』の講演で、メルロポンティのことで今を救済する思想は古代思想の中にあると書いている。熊楠は曼荼羅の研究の中でそれを展開している」ふたりは同じ方向を観ていたのである。
 それにしても、先に紹介した弟子たちの作品は、こうした金子先生の世界との出会いからはじめて生まれてきたものであった。その出会い自体、この宇宙の奇跡的出来事と思う。
その流れの中にいま参加していることに感謝している。
ロボットになれず満月になれず   小野裕三
かげのコマンドよ青啄木鳥は撃つな  高橋たねお
夜がそこへきて生きもののように月 清水貴美子
飛花に牛流域太古のように澄み   市原光子
春は曙昨日と今日を切り離す    白川温子
街灯は待針街がずれぬよう     月野ぽぽな
葬送や誰もが濡れたかたつむり   若森京子
世界中朝日になろう落葉松紅葉   谷 佳紀
遠くとはユーフラテスのふらここよ 遠山郁好
棒ですか泥酔ですかこの毛虫    茂里美絵
うつぶせのあなたのように夏銀河  室田洋子
これらの作品は、金子兜太という希有な存在との出会いがなければ決してこの世に現われることはなかったと思う。
その不思議の有り様をもう一度科学の眼から語ってもらおう。
 素粒子レベルに見出されるのは他から分離した個々の物体ではなく振動する場であり振動のリズムである。あらゆるものはその本質において、純粋なリズムに溶け込んでいく。あらゆるものが生命力とともに振動しているのである。(ロバート・C・フルフォード「いのちの輝き」)
 最後に、高野ムツオ氏が、「金子兜太句集『百年』を読む」(朔出版)に寄せた言葉に耳を傾けてほしい。
 金子兜太の俳句をどう読み、どう咀嚼し、どうじぶんのものにするか。そして、自分たちの生をどう考え,どう表現し、どう実践していくかということが、実は本当に金子兜太が死ななかったことの証になるんだと思います。
 俳句もその作者も、宇宙のいのちの瞬きである。「ふたり心」の灯を内部に灯すことは、その瞬きとなることである。(了)

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